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シネフィル宇都宮

宇都宮でミニシアター系作品を上映しようというプロジェクトのブログです。

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ヒロシマ・ピョンヤン ~棄てられた被爆者~

広島への原爆投下から59年目に、自らの被爆を知った平壌の娘。
広島の母から被爆した時のことを聞きたい。
そして被爆の証がほしい!

ヒロシマ・ピョンヤン
朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)で暮す李桂先(リ・ゲソン)さん。二重にしたゴム手袋で食器を洗う。指の皮膚が極端に弱く、素手だとすぐに出血してしまうからだ。髪の毛が、すべて抜けてしまったこともある。被爆したことが、それらの原因だと桂先さんは言う。
広島市から約27キロメートル離れた大竹市で、桂先さん一家は暮らしていた。1945年8月15日、日本は敗戦。朝鮮へ帰国するための手当てが出るという話を聞き、母親は桂先さんを連れて広島市内へ向かう。その日は、米軍による原爆投下から12日目。広島市内はまだ残留放射能で汚染されていた。手当て支給の話はデマで、しかも母親と娘は被爆してしまった。                                                      
帰国をあきらめた一家の、日本での暮らしは厳しかった。桂先さんは大学進学を望んだが、それは経済的に難しかった。ちょうどその頃、朝鮮への帰国事業が始まる。桂先さんは大学へ入るため、家族の中で一人だけで海を渡った。  
結婚後、桂先さんの健康状態は次第に悪くなっていった。自分の健康を蝕んできた原因は被爆ではないか、と思ったのは2004年。広島から訪ねて来た母親が、病にひどく苦しむ娘の姿を見て、広島市で被爆していることを告げたのだ。それは被爆から59年も経っていた。それまで母親が黙っていたのには、深い理由があった。
広島と平壌とに遠く離れて暮らす母と娘・・・。桂先さんは、自分が被爆した時の詳しいようすを母親から聞きたい。だが日本政府の制裁によって、日朝間を行き来していた船は運行停止になり、母親は来られなくなった。行き来できない中で、被爆者の母親と娘は互いの健康を気遣う。そして映画は、誰も予想しなかった結末で終わる。

企画・構成・撮影・写真・ナレーション 伊藤孝司
監 修    李実根(リ・シルグン)
朗 読    新屋英子
音 楽    河弘哲(ハ・ホンチョル)
編 集    土屋トカチ・小林アツシ
制  作   2009年
劇場公開  2010年
制作・宣伝・配給  ヒロシマ・ピョンヤン制作委員会
上映時間  90分
上映方式  DVCAM
オフィシャルホームページはこちら。
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